「せっかく作った料理を1回の食事で終わらせたくない。少し手を加えながら、しりとりのように次の食事にもつなげていくんです」。
そう話してくれたのは、料理家のキム・ナレさん。韓国で生まれ育ったナレさんは2007年に初来日。韓国と日本で料理を学び、10年前に独立しました。料理家として活躍しながら、4歳の息子の子育てとも向き合う日々です。
今回は、日本と韓国の家庭料理の違い、食への考え方、そして献立の決め方まで。肩の力がふっと抜けるような、キム・ナレさんのごはんとのつきあい方を伺います。
2つの文化を行き来してきた彼女の言葉には、「毎日のごはん」に向き合うヒントが詰まっていました。

インタビューした人
料理家
キム・ナレさん
- 料理家になったきっかけは、友人との冗談みたいな会話から
- ふたつの食文化を行き来して気づいたこと
- 天気予報を見て献立を決める。「ごはん日記」の習慣
- 毎日の料理は“しりとり”。食材を繋げていくおもしろさ
- 「食べること=生きること」。食べ物で体を整える

01
料理家になったきっかけは、友人との冗談みたいな会話から
──日本に興味を持ったきっかけは?
キム・ナレさん(以下ナレさん):実は、私の祖母が若い頃に山口県に住んでいたことがあって、日本をどこか身近に感じていたんです。
でも、本格的に好きになったきっかけは中学生の頃にハマったアイドル。そこからどんどん興味が広がっていって、日本語も独学で学び始めました。20代前半は看護師として韓国の病院で働いていましたが、旅行で日本を訪れたときに「やっぱりこの国が好きだな」と改めて感じて、帰国後すぐにビザの手続きを始めました。
──それが20年ぐらい前のことなんですね。料理の仕事を始めることになったのは、どうしてですか?
ナレさん:初めて日本に住んだ後、ドイツで暮らしていた時期もあるんです。そのときに、友人と「韓国料理店をやろうよ」なんて冗談まじりに話したのが、思いのほかワクワクしたんです。それが料理を学び始めたきっかけでした。
もともと特別料理が好きだったわけではなかったんですが、ドイツや日本で韓国料理を作ると、友人たちがすごく喜んでくれて。「人に“おいしい”って言ってもらえるって、こんなに嬉しいことなんだ」と実感しました。
一度料理をちゃんと学んでみようと思い、韓国に帰国して韓国料理を習いました。もともと和食も好きだったので、韓国料理を学んだ後にもう一度日本で専門学校に入り、和食も学び始めて。そこからどんどん料理の世界に夢中になっていきました。

──それから日本で料理教室を始めたのですね。当時から今のような体にやさしい韓国料理を教えていたんですか?
ナレさん:当時はまだ韓国ブームなんて言われる時代ではなかったし、日本の方がイメージしやすい辛い韓国料理や、ちょっとジャンクな料理がメインでした。
でもあるとき、私自身が病気になってしまって。その経験から、自分の暮らしや食生活を見直すようになったんです。韓国料理というと、辛くてにんにくたっぷりと思うかもしれませんが、それだけではないんです。日本と韓国の食文化を融合させながら、自分なりの「体にやさしい 韓国料理」を少しずつ作るようになっていきました。

02
ふたつの食文化を行き来して気づいたこと
──和食と韓国料理はどんな違いがありますか?
ナレさん:韓国は寒い季節が長いので、保存食が発達した文化です。食材が豊富な季節にたくさん漬けたり干したりして、それを一年中楽しむ。今は流通が整って季節を問わずいろんな野菜が手に入るけれど、そうした食文化は今も続いています。一方、日本は「旬」を大切にして、その季節にしか味わえない食材を使った料理を楽しむところが素敵だなと感じています。
韓国料理で好きなのは、やっぱりパンチャン(おかず)の多さです。テーブルにたくさんの小皿が並んで、それぞれの味をちょっとずつ楽しめる。日本はメインのおかず、汁物、副菜とひとつひとつに手間をかけて調理する文化だけれど、韓国料理はシンプルな味付けのナムルをはじめ、簡単な副菜を何種類も作る文化なんです。

03
天気予報を見て献立を決める。「ごはん日記」の習慣
──韓国では「雨の日にはチヂミを食べる」と聞きますが、シチュエーションに合わせて食べることも多いですか?
ナレさん:はい、韓国ではそういう“天気と料理”の組み合わせが、すごく自然に根付いています。子どもの頃からの習慣なので、雨の日にはプッチンゲ(日本でいうチヂミ)を食べたくなりますし、夏の暑い日には滋養をつけるために参鶏湯を食べる、なんていうのも定番です。

私自身も、毎日の献立を天気ベースで考えていて。2日先までの天気予報をもとに、iPadで「ごはん日記」をつけているんです。たとえば雨の日の朝は、にゅうめんやすいとんで体を温めたり、晴れた日には気分が上がるようにパンケーキを焼いたり。
冷蔵庫にある食材も全部書き出して、使ったものから消していっています。1週間分を考えるのは大変だけど、2日分なら無理がないし、翌日のメニューが決まっていればまとめて仕込みもできる。次の日の朝がすごく楽になるんですよ。

──事前に決まっていると、朝も気持ちに余裕が出そうですね。
ナレさん:そうなんです。朝って本当にバタバタするから、「すぐに取りかかれる」というのが大事。前の晩にお鍋を出しておくだけでも全然違います。少しでも準備しておくと、「昨日の私、えらい!」って思える(笑)。そんなふうに自分を褒めながら、気持ちよく一日を始めています。

04
毎日の料理は“しりとり”。食材を繋げていくおもしろさ
──「ごはん日記」はいつから書いているんですか?
ナレさん:出産してからなので、もう4年ほど続いています。料理は好きですが、子どもが生まれると急に「3食きちんと栄養を考えなきゃ」というプレッシャーを感じるようになって。趣味だった料理が、義務になってしまう感覚がありました。献立がマンネリになることも多くて、もっと楽しくできないかなと思って、絵を描いたり、ゲーム感覚で献立を考えるようになったんです。
──ゲーム感覚とは?
ナレさん:しりとりのように、どんどん繋げて展開していくんです。例えば、キャベツを1個買ったら、すぐに全部千切りにして塩もみしておきます。ある日はそれにオリーブオイルとレモンでサラダにしたり、さらに刻んで水気を絞って餃子の具にしたり。そのまま漬物してもいいし、キンパの具にしてもおいしいんです。うまく使い切れたら「私って天才!」って気持ちも上がります(笑)。
──料理が面倒に感じることはありますか?
ナレさん:もちろんありますよ!疲れた日はとことん手を抜きます。冷凍スープにそうめんを入れるだけ、ごはんと韓国海苔とキムチだけ、アイスクリームだけの日だってあります(笑)。そういう瞬間があることで、翌日には、「よし、また頑張らないと」って思えるんです。

──息抜きする工夫も大事ですね。
ナレさん:そうですね。一度にまとめてつくることが結果的に息抜きにもつながっています。例えばワカメスープは一度に2、3日食べられるくらいの量を作ります。煮込むほど味が深まるので、それもまた楽しみ。パンチャンも1週間分まとめて作っておけば、あとはごはんと汁物だけで十分。
何種類も作るのが大変に感じるかもしれないけど、味付けもシンプルで、ナムルならごま油、にんにく、塩かしょうゆ。そこに好みで唐辛子やコチュジャンを足すことも。毎日食べて、最後の始末はビビンバやビビン麺に。せっかく作るなら、1食で終わらせてしまうのが嫌なんです。何かしら用意しておけば、次の1食がしりとりのように自然とつながっていく。それが楽しいし、作り置きも苦じゃなくなってきました。家族のために作っているようであって、結局全部、自分のためなんですよね。

05
「食べること=生きること」。食べ物で体を整える
──話を聞いていると、食べることは暮らしの中心だなと感じます。
ナレさん:「体調が悪くなったら、まずは食べ物で整える」という考え方が韓国にはあります。お粥や牛骨スープなど、食事での回復を第一に考えるんですね。それでもよくならなければ漢方、それでもだめなら西洋医学、という順番。だから、食欲がないというのはすごく深刻なこととして捉えられています。たとえば、暑い夏にはビビン麺やもやしごはんを食べて、食欲を取り戻そうとする。「食べること=生きること」という考え方が文化の土台にあるんです。
──似ているようで違う、日本と韓国の食文化もおもしろいですね。
ナレさん:日本で料理教室を始めて驚いたのが、日本の家庭料理のバリエーションのすごさです。韓国では家庭料理=韓国料理という感じで、だいたい家庭の味はみんな似ています。でも日本は、家庭ごとに個性があって、食卓のバリエーションも本当に豊か。家族が食べたいものを考えて、和食だけでなく、パスタや洋食、中にはパンまで焼いちゃう。皆さんの話を聞くたびに「すごいなあ」と尊敬の気持ちが湧きます。
──ナレさんご自身は、「食育」のようなことを考えて何かしていますか?
ナレさん:うちは「野菜は名前で呼ぶ」っていうのを大事にしてます。肉や魚は自然と好きになるのであえて名前で教えなかったのですが、野菜は一つひとつ「今日はキャベツを食べよう」とか、「これはレタスだよ」って伝えるようにしていて。そうすると野菜が全部“苦手なもの”というカテゴリーにならずに、ちゃんと区別して覚えてくれるんです。
それから、ご飯を作るときは「味見担当」をお願いしています。調味料をひとつひとつ味見させて、「今日はキュウリを炒めようと思うけど、何味がいい?」と聞いて、選んでもらいます。しょうゆがいい、味噌がいい、ごま油がいいって。自分で関わった料理だとやっぱり食べたくなるみたいですね。
ある日「ぬか床は調味料として使えないの?」って聞かれて(笑)。驚いたけど、子どもの意外な発想に私も刺激をもらってます。

──ナレさんの話を聞くと、完璧じゃなくていいんだって思えました。
ナレさん:料理って、がんばりすぎるとつらくなるから。「今日も作った私、えらい!」って、ちゃんと自分を褒めてあげるって大事だと思うんです。そうやって自分のご機嫌をとることは、まわりの人の笑顔にもつながっていく気がします。
生活にコントラストがあってもいい。アイスクリームだけの夜があってもいい(笑)。そうやって心と体のバランスをとりながら、「何が食べたい?」「どうしたい?」と自分に問いかけて、 その声にちゃんと耳を傾けてあげる。食べることは、生きることそのものだから。自分をだまさずに、いちばんの味方でいてあげたいと思うんです。